2010年7
2010.7.25(日)

徳之島「徳之島節」と与那国「しょんかね節」をラジオで聞きました。
番組では死者との別れや生活苦を嘆く唄としてとりあげられていたわけですけれど、いずれも私達の周りから嘆きや悲しみを素直に表現する機会が失われてしまったという内容でした。
葬儀の四十九日とは埋葬した亡骸が腐敗し首が落ちる期間なんだそうですが、本当は四十九日で再度亡骸を掘り出して骨を洗い清め再度埋葬するのだそうです。
その四十九日の間は死者も苦しいので縁者がそれを共有し、故人を讃える唄などで供養するというものでした。
現代の葬儀のように沈黙や静寂では故人の魂はいつまでもそこに留まっていなければならず、決して供養にならないのだそうです。
明治以前日本人の人間関係はもっともっとおおらかであらゆる人間関係が許され、最後の絶対である死に至ってもまだそのように関係性を保とうとしたのです。
それが生者にとってもよりよい生き方に通じると長年の経験則で体得してきた習慣だったのでしょう。
何百年続いた風習も明治維新で何もかも西欧のマネをするようになり、人間関係や感情表現を失って死体は葬儀という名の「処理」に変わってしまったのです。
日本人はまず東洋人なのだということを再認識すべきかもしれません。

エイサーが人の心を打つのは東洋人としてのDNAに直接響くからなのでしょう。

2010.7.17(土)

梅雨明けを待っていたようにまた祇園祭がやってきました。
以前にも同じ写真を載せましたが、左が駅前通り、右が八雲神社への参道です。

 

ご覧の通りメインの参道がガラガラです。
何百年間連綿と続けられた神事も直近の土日曜に変えられ、文字通りお祭り騒ぎに成り果ててしまいました。
もちろん祭りというものは時代とともに変化するものでお祭り騒ぎがすべてダメというわけではありませんが、やっかいなのはこれでも当事者が神事と思い込んでいるところです。