2008年11

2008.11.30

昨日の練習はけんゆう・沼チャン・ヒロリンの四人。
いつものようにのんびりそれぞれマイペースで練習する。
けんゆうが何度も倭人の応援に行ってたので八部衆の振り付けを一部忘れてしまっているし、沼チャンも長いブランクの直後なので不安いっぱい。
なので久しぶりに自分も手踊りをしながら振り付けの確認をした。
その間ヒロリンにちょっと強引だったけど唄三線を出してくれるよう頼んだら、なかなかどうして結構いけるではないか。
唄も小さいながら出てるし、なによりリズムがしっかりしているので多少音が外れても踊りがブレない。
彼女、全くひとりで地唄役の練習をしたのはたぶん今日が初めてのはず。
ちょっと緊張したと思うけれど、今夜はとてもいい経験ができたと思う。よかったよかった。


今年から中心市街地活性化事業といういかめしい名前の会議に出ている。
その中で商店街の活性化と市街地の活性化を同時に進めているのだがこれがなかなか難しい。
商店街の活性化といえば、ひらたくいえばとにかくモノが売れることにつきる。モノさえ売れれば他は何もなくても自然と活性化される。
しかしそれは市街地の活性化と必ずしも一致しない。市街地では衣食住が大事なのでモノが売れるかどうかはとりあえず無関係なのだ。
公的機関や子育て支援やボランティアがたくさんできて市街地がにぎやかになったとしても、必ずしも商業は活性化するわけではない。
またこれはいつも言っていることだが、祭りやイベントでたくさんの集客があっても活性化されるのはイベント会社と露天商と飲食関係ばかり、物販店はあきらめ顔というのが実情で、これも商業の活性化と錯覚されやすい。
行政を巻き込んでこういう会議をたちあげると、必ず「地域」と「商業」をごった煮にしたがるのはなぜだろうか。
そういう発言をしたら他のメンバーはあわてていたが、これから後どのようにまとめるつもりなのか自分にはさっぱり見えてこない。
こういう会議は本当に疲れる。

2008.11.27

まだ親の介護があって沖縄に行けなかった頃、ネットで手に入れたコザの地図を張り合わせて毎日見ていた時期がある。
毎夜エイサービデオを見ながら、まだ見ぬ街を人を匂いを色を・・想像しては消しまた想像しては消し、熱病のような毎日が2年ほども続いただろうか。
隣で一緒にしまーを飲みながらTVのスポーツニュースを待っていたけんゆうが結局言い出せなくて深夜になることもしばしばで、今思うと気の毒な毎日だった。

そしてやっと実現した沖縄行き、さらに今年は二度目。
今あらためてその地図を見ると、自分の中で塗り替えられた部分がある。
バスに乗るにも歩くにも、公民館を訪ねるのも店を探すのも殆ど迷うこともなく、想像どおりの街であり人であり匂いであったのに、その地図の何かが塗り変わった。
こうして徐々に何かが溶かされていくのを感じながら今夜も酔眼はコザの地図を眺めている。

2008.11.19

最近メンバーが減り続け、前回の練習日はとうとう自分一人になりました。
こうして独りで三線抱えて座っていると「元気屋」を立ち上げた頃の苦労が懐かしく思い出されます。
エイサーに興味をもってくれる若者がやってくるかもしれないと期待しながら、これまで寒くても嵐でも必ず練習場所を開けるようにしてきました。
久しぶりのひとり練習はさすがに寂しいけれど、誰にも気兼ねなく声を張り上げいろんなことを試せるのがいい。

自分の店で練習してもいいのだけれど、道行く人が三線の音を聞いて人だかりができたり(ウソ)立ち止まって(ホント)聞き惚れたり(ウソ)するのでなかなか思い切り音を出すというわけにもいかないのです。

八時半頃能登まで釣りに行っていたけんゆうがやってきました。
またしばらくするとtamさんが来ました。
こうして人が集まってくるとホッとします。
メンバーが来なくても練習場所には誰かがいなくてはならないし。
各人都合というものがありますから決して強制というわけではないんですが、自分こそが真っ先に行くよ、というメンバーはやはりありがたい存在です。

今夜も元気屋のシャッターを開けます。
太鼓希望のニセタが列をなして待っているかもしれないと、絶望的な可能性だけを頼りに・・・。
悲しい性です。

 
元気屋の壁は以前ブティックだったので全面ピンク。
もう慣れたけれどあまり気持ちのいいものじゃないのでエイサーの写真をどんどん貼付けています。
そのうち松阪エイサー会館になります。