2008年10

2008.10.14

伊勢神宮神嘗祭
毎年恒例の天願エイサー見学に出かけました

 Photo by 岡ちゃん

 具志川市がうるま市になったので旗を新調したそうです。伸縮ポールを使って生地も薄く、軽くなるように工夫されてました。

photo by tam 今年はきれいな照明が入りました。
沖縄ではこんな環境でエイサーする機会はあまりないでしょうから臣下もどこか楽しそうでした。

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15日

 倭人の皆さんと合同で見学です。

休憩中、締太鼓の臣下に少し話かけてみましたら「松阪の八部衆さんでしょ、よく知ってますよ」と驚きの返事が返ってきました。
さらに「伊勢に遠征する前には八部衆さんに撮ってもらったビデオを青年会みんなで見てテンション上げて来るんですよ」と言われてまたびっくり。
以前東青年会からも八部衆のビデオを教範にして他に教えている、との手紙をいただいたことがあります。
なんでも青年会というのはビデオを結構たくさん撮ってもらうのだけれど演舞を初めから終わりまで途切れなく撮っているのは八部衆だけなのだ、とのこと。
自分としてはあまり意識していなかったのですが、そう言っていただけるとまことに嬉しく光栄なことです。

 岡ちゃんは女子手踊りの取材。

【ユウナのバチ】
締太鼓のメッサ君はエイサーを始めてからというもの、ずっとユウナのバチにあこがれていました。
練習も人一倍熱心な彼を見ていて、私は彼のためになんとかユウナのバチを手に入れてやりたいとずっと機会を待っていたのですが今まで果たせず何年か経ってしまいました。
人なつっこいメッサ君のことです青年会の臣下に会えば「バチが欲しい」と言ってしまいかねません。
でもユウナのバチはなかなか手に入るものではないし臣下が苦労して刈って削りだすものだから、簡単に「欲しい」などと言ってはいけないよ、と彼にはクギを刺してあったのです。
前夜祭の夜、彼は一年ぶりにあこがれのU君に会って、バチ振りや足さばき、指笛のことなどをしきりに尋ねていました。年に一度しか会えず、しかもわずかな時間しか話ができないのですから無理もありません。
それでも彼は決してバチが欲しいとは言いませんでした。
そんな律儀なメッサ君を見ていて、私もこういう機会に少しはプッシュしなければ・・とメッサ君に代わってバチの話をしてみたのです。

そして翌日。
最終の演舞が終わってもうお別れという時、なんと締太鼓のU君がメッサ君に自分が使っていたユウナのバチを「みんなにはナイショですよ(笑)」とくださったのです。
(ここでこれを書いてしまうとナイショにならないのですが、会長さんには御礼の手紙を書きましたからいいでしょう)
夢のような出来事というのでしょうか、メッサ君も私も嬉しくて飛び上がってしまいました。
やはり気持ちは素直に伝えてみるものです。


あこがれのユウナのバチ。< L370 D38 > コザの青年会に比べるとちょっと小振りです。

メッサ君には神棚に飾っておくようにと言ったのですが、締太鼓を打って「めっさ軽くて振りやすい、やっぱり音がええ」と有頂天です。
ちなみに白のビニールテープに黒い跡がついているのはメッサ君が太鼓の角を打ってしまった跡で、U君からもらった時にはそういう打ち損じは一個もなかったとのことです。
こうしてあこがれのユウナのバチを彼はとうとう手にしたのでした。(折るなよ)

2008.10.7

全国エイサー共有掲示板がいきなり閉鎖されてしまいました。
ここは誰もがHNで参加できる掲示板ですから意見の食い違いはしょっちゅうありましたけれど、いろんな意見がときには感情的になりながらも熱く語り合えるすばらしい掲示板でした。
また、八部衆がまだ結成される前からエイサーや三線の基礎的な事などを教えていただける大変貴重な掲示板でもあり、この掲示板と管理人さんがいなければ三重でのエイサーは不可能だったかあるいは数年は遅れていたはずです。
閉鎖のいきさつはともかく、早く再開されることを願っています。
もし管理人さんがここをご覧になっていたら、閉鎖の理由が「私憤」なのか「公憤」なのかを冷静に判断し、エイサー界のためにはどうすればいいのか、もう一度考えていただきたいと思います。

2008.10.2

 7時すぎ、ホテルの朝食(¥600)で腹ごしらえ。

 すぐチェックアウトして七時半にスタート。早めに出たつもりでも高崎市内で朝のラッシュに巻き込まれカーナビで裏道を探しながらやっとの思いで18号線に抜けました。

 
安中に入れば国道も空いていて快晴の下気持ちよく進みます。
いつ見ても特徴的な妙義山が近づくとすぐ「おぎのや」が見えてきました。釜飯を買い、右手に「鉄道文化村」を見ながら旧18号線碓氷峠に入ります。

 文化財のレンガ橋のところにはマニアが数人写真を撮りにきてました。
クネクネと狭い峠道を対向車に気をつけながら登っていきますが結局三台しかすれ違わず、鉄道の遺跡巡りでなければ誰もわざわざ通らないでしょう。夜になると走り屋が集まるのでしょうか、タイヤ痕がいっぱいありました。

 やっと・・という感じで峠の頂上です。

 軽井沢からは浅間山が正面にデーンと見えました。
佐久平の国道・県道・農道(?)をカーナビで選びながらできるだけ短距離になるように走ります。
そうすると不思議なことに昔の街道を辿ることになるのです。
よく考えたら昔の人は歩いて行くわけですからできるだけ短く楽なルートを自然に選んで道をつけたのですね。あたりまえのことなのですが・・。
峠を越える度に風情ある宿場町が現れて飽きないのが下道の良さです。

 横川で買った「峠の釜飯」を木曽の道の駅で食べました。昔に比べてご飯の量が増え味付けもあっさり食べやすくなった感じでした。鶏肉だけは外すのに苦労・・。

名古屋までは順調に来ましたが市街地の通過に時間がかかり、鈴鹿・津では夕方のラッシュ、この90キロで一気に疲れます。
19:30 松阪帰着、途中30分の昼食休憩を入れて11時間の楽しいロングドライブでした。

コロリさん、かっちゅさん、そして送迎役の奥様とみよちーさん、お世話になりました。

2008.10.1

 約4時間ほどウトウトして道の駅を出発。(内緒だが顔はまだ赤いのだ)

 雨の佐久路を快走。

 昨夜のうちに距離をかせいでおいたので時間はたっぷりある。せっかくなので鉄道だけでは行けない浅間山を目指します。迫力ある(はずの)浅間山はあいにく雲の中。
でも火山博物館を見て鬼押出しの溶岩流の中を進む頃雨は上がり、対岸の白根山付近に薄日がさしてきました。

 溶岩流の跡。浅間山は日本でも最も危険な火山であるらしく、昔の文献や遺跡の発掘で様々な被害状況が残されている。自然の大きさを実感できる観光地だ。

 山を下り、万座鹿沢口からJR吾妻線に沿って走ります。
吾妻渓谷付近

 途中で山菜そばを食べました。

 女人禁制?の酒・・。(群馬総社駅前の酒屋さん)

 コロリさんと会う時間まで四時間もあったので近辺の商店街をくまなく観察して歩きました。
県庁所在地の前橋にふさわしく立派な商店街がいくつか固まっています。が、やはり閉まったシャッターが目立ちどこも厳しそうな雰囲気です。夕方だというのにお客さんは殆ど見当たらず、数人の歩行者がいる程度でした。
市民活動センターも訪ねましたが、なぜか高校生が受験勉強している光景ばかりであまり活気が感じられませんでした。
ただ、地下にあるスーパーだけは夕方ということもあり、結構賑わっていたので救われた思いです。

 まだ時間があるので近くの群馬県庁に行きました。
立派な高層建築で、32階の展望フロアまで無料で登れます。

 コンピュータ制御ですごいメカの地下駐車場、これが4台稼働しており、係員も親切な誘導で殆ど待ち時間なしで入れます。料金も二時間までは無料ということで、展望台で景色を楽しみ、31Fの高級レストラン(入れません)や地下の社員(?)食堂でゆっくりできます。
こういうところはありふれた観光地よりずっとおもしろいと思います。

 地下食堂のラーメン¥370、安い。

 妙義山方面

 赤城山方面

 遠くに浅間山が見えました。  

午後7時コロリさんと待ち合わせ、商店街の真中にある「魚民」というチェーン店を予約していただいたので入ります。
ほどなくかっちゅさん登場、両脚松葉杖という痛々しいお姿ですが元気そう。
内容は敢えて差し控えさせていただきますが(笑)「○△」「×□」などなど実名飛ばしまくりでみっちり三時間ほどエイサー談義で盛り上がりました。
平日で翌日も仕事のお二人なのに深夜までおつきあいいただき、ありがとうございました。