2007年5

2007.5.31

昨日考えたこと

● 隙のない演舞は見る側が疲れる。
● 余裕のない演舞は見る側が疲れる。
● 原理主義だからこそ柔軟さと優しさを前面にうちださないと見る側は疲れる。

2007.5.30

雨模様の休み、久しぶりに仏像の「八部衆」が見たいと思って奈良に行きました。
こんな日はのんびりと何も考えずに車窓を眺めるのが好きです。

 キミ、何も考えてないやろその顔は・・♪。

 奈良の鹿は天然、つまり野生です。
ここでは誰も鹿をいぢめない、鹿も嫌なことさえされなければ人を襲わない。
修学旅行の生徒は鹿をなでながらいつまでも離れようとしません。
鹿はもちろんエサ目当てなんだけどエサをくれなくても子供たちに背中をなでさせている。
見ているとどうもツノとお尻は触られるのが嫌いらしい、あたりまえか。
でも子供たちの興味はツノだ。
お尻は鹿も人間もたいして変わらないだろうけど、ツノというやつは人間の場合隠しているからわからない。
だから触ってみたいと思うのは当然だ。
子供達は嫌がる鹿を追いかけてはツノにタッチしている。
わたくしもやってみたかったが理性で抑えた。

いつもは国立博物館に出張している緊那羅クンが今日は特別展ということで興福寺の宝物殿に里帰りしているという。
これはラッキーとばかり¥500で宝物殿に入ると、おおー「八部衆」が八体並んでいるではないか。
修学旅行生でごったがえす館内をあちこち移動しながら見る、見る、また見る。
「八部衆」はやはりこうして八体が揃って並べられているときれいだ。
どうしていつも一体だけ博物館に出張させるのだろう、こうして並べておいたほうが格段いいのに。
そこには何かしようもない低次元な秘密が隠されているに違いない。


(興福寺のポスターより)

いつも言うけど仏像は天平がいい。
神懸かりなのはいただけない。
人こそ仏なり、という文化がわたくしは好きだ。

ところで「八部衆」、国宝なんだけれどよく1200年以上も残ったものだと思う。
今からさかのぼって400年前は豊臣秀吉や徳川家康がいた時代、それよりまだ800年以上も前なんですよ。
その時間の中には語り尽くせないほどの人々の喜怒哀楽が流れていたわけです。
これらの仏像を大切に守ろうとした人もあれば邪険にされた時もあったでしょう。
破損しながらもよくぞ今まで残ってくれたものです。
・・
ところでこの仏像達、もし黄金でできていたら果たして今まで残れたでしょうか。
木と漆喰だったから、もっと言わせてもらうなら物としての価値が無かったからこそ残れたのではないでしょうか。
そういう根強さもこの天平の仏達は併せ持っているのです。
我がエイサー「八部衆」も千年後には国宝といわれるに違いありません。

2007.5.26

本番で、よしっ、今日は調子いいぞっ・・と思った時はビデオがまわってなかったりする。
考えてみれば「八部衆」創立以来欠かさず記録をとってきたわけだけれど、後で一二回反省のために見て終わり。
今回のように記録に残らなければ反省も後悔もしなくて済む。
よしっこれからは本番はすべて非公開にしよう、思いきり気楽だぞっ(バキッ)。

2007.5.24

街が静かです。
このまま手をこまねいているだけではどうしようもないということはわかっていても、やっぱりどうしようもないのです。
昨夜も街づくりの会議でした。
いつも私だけでなくみんなが思っているのですが、イベントや祭りが終わって、イベント屋と露天商だけが活性化されてハイ終わりでは意味がないのです。
それはみんなわかってる、わかってるけどどうしようもないのです。
景気の良い店余裕のある店ほど街づくりには無関心です。
もし自分の店が大儲けしていたらどうなんだろう・・そんな事を考えてしまう夜でした。

2007.5.23

いい天気なので倭のM食堂へカレーを食べに行きました。
kazさんを誘ってこれからの「倭人」と「八部衆」のことを話しました。
これから「倭人」は本当に地域に密着するために独立します。
演舞も体制も変わるでしょう。
新しいメンバーも増えたようだし、いつか松阪でそれぞれの演舞を披露できるといいなあ。

 

電車の広告でキトラ古墳の壁画を一般公開しているというのを見つけたので、昼食後kazさんに駅まで送ってもらってフラッと出かけました。
最寄り駅(橿原神宮前)からは飛鳥資料館行きの臨時直通バスも出ていて水曜の午後だというのに結構な賑わい。
普段行列の嫌いな私もせっかく来たのだからと素直に並んで見てきました。
行列もただ外で待たせるだけではなくて館内の展示物を見ながらなのであまり退屈もせず並んでいられました。
中でも仏頭で有名な山田寺の回廊(常設展示)は1000年ぶりに土中から発見されたという貴重なものだそうで印象的でした。
肝心の「玄武」は亀に蛇が巻き付いた絵で縁起物なんだそうですが、30cm四方くらいの小さなものではっきり見えなくてかなり並んだわりには「ふーん・・」という感じでした。

2007.5.22

沖縄から帰ってまだ2週間くらいしか経っていないのにもう7月のバーゲンチケットを探している。
経営危機のさなかでもあり、おまけに商店街の連中からは「沖縄旅行ですかいいですねー」などと言われてるしちょっと複雑な心境である。
その一方で念願だったある計画が進もうとしている。
市・商工会議所・商店街連合会がバックアップしてくれそうな"ある計画"がここにきて一気に進みそうなのだ。
それは僕が求めているエイサー本来の姿ではなくてイベント性の高い企画なのだけれど、エイサーの未開地にはそういう啓蒙運動も必要だと思う。
「今っ、今がチャンスですよっ」
力強く語ってくれたひでさんの言葉が忘れられない。

そのことをけんゆうに話したら「迷ってる時は行くっ」と一言。
この人は時々すごいことを言うのでおもしろい。

・・・・・

今夜は市民活動センターの運営委員会議でした。
様々なジャンルの団体から運営委員が出席して自己紹介と意見発表。
僕はここぞとばかりエイサーの主旨を蕩々とスピーチ・・、しようとしたのだけれどカミカミでなかなかうまく表現できませんでした。(不器用ですから)
「倭人」sanchanのように上手にスピーチできるようになりたいなぁ。
それはともかく今夜の会議はなかなか意義あるものでした。
市民活動センターには様々のジャンルが違う団体が集まっています。
そのジャンルの垣根を取り払って横の連携を深めようではないか。
そうすることでお互いが新しい切り口を発見できるのだ・・。
そういうことを言いたかったわけです、ハイ。
会議終了後、合併された隣町の代表者からは早速今年の夏祭りに・・という話まで進んでしまいました。
kazさんが日記に書いていたように人と人、やはりコミュニケーション次第ということです。

2007.5.20

しかし・・日記の文章、むちゃくちゃやね。

2007.5.19

今日は「松阪撫子どんな花?祭り」、二つの商店街でゲリラ演舞をしてきました。

 組合会館を控室に借りてリハです。
地謡は本番二時間くらい前から声出しします。
だいたいフルで三四回くらいが丁度いいくらいになります。

一回目14:30〜ベルタウン中通り

 出番待ち

大太鼓けんゆう、締太鼓numaちゃんとあそ君の計三名、「倭人」からは手踊り4名さんが応援に来てくださいました。
 松阪木綿の着物を着たお姉さまが進行役です。

 kazさん今日もありがとね、tamさんも写真ありがとね。

 最近めきめき実力着けてきた岡ピ。
できればもう少し脚を長くするよーに。

 貫録の・・(ゲホッゴホッ)

今回は結構音の通りのいいPAガンガン入れてくれたので余裕で謡うことができ、初めてエイサーをご覧になった方から「いいお声ですねー」なんてみえみえのお世辞をいただいて有頂天になってました。
そりゃあなんといってもエイサーは謡も踊りも情念じょうねん、ガハハ。(単純)

イベントは途中でにわか雨が降ったりしてスケジュールが変わってしまい主催者も困っていたようですが、そこは「八部衆」ゲリラの強みで空いた時間を有効に使って演舞して場をつなぎ好評でした。
あれっ演舞が好評だったのでは・・。
いやいや演舞も好評でしたよ。

二回目15:30〜 平生町商店街

 

 子供に気を取られてミスッてしまい、思わずテレ笑いするけんゆう。

 司会進行のSさん
唐船boyの結婚披露宴のときのことを覚えていてくれて声をかけてくれました。
三年も前の事だし毎日数多くの披露宴の司会をしてみえるのに「エイサーがすごく印象的だったんです」とは嬉しいことです。

2007.5.11

最終日は那覇にホテルをとってあったので首里城と金城町の石畳を見ることにしました。
朝のうち空港へ行き、みやげものを買って他の手荷物と一緒に先にチェックイン。
飛行機の切符だけもらって身軽になり、また首里までモノレールで行きます。

修学旅行生でいっぱいの首里城をぐるっと巡りましたが写真やTVで見たとおり、特に感じるものもありませんでした。
ただ修学旅行の生徒さん達がたぶんバスガイドにでも教えてもらったのでしょう「はいさい」「はいさい」と口々に衣装を着た公園の係員に挨拶にならない挨拶を投げ掛けていて、係の人もいちいちそれに「はい・さいっ」と応えている様がおもしろくも気の毒で、それだけの印象でした。


標識より下が本来の石垣で上が復元された石垣だそうです。
復元した石垣や建造物はまるでテーマパーク、それが世界遺産というのはどうも納得がいかない気がします。
首里城から坂を下り、いったん谷間に降りたところから再び金城の石畳を登り直してみました。
当時否応なく日本軍に組み入れられた民間人もこの石畳を上り下りしていたはずです。
その石畳を一歩一歩をあえぎながら登って途中の休憩所から那覇市街を見渡せば海が見えます。
あんなに遠くからこれだけ広大な地域を破壊し尽したのかと不遜な感心をしてしまいます。
いったいどれだけの砲弾を使ったのか、そしてその中でどれほどの人々が逃げ惑い殺戮されたか・・。
そういうことは史料やパンフレットを調べればすぐわかるのでしょうが、実際に現場で汗して体感することでしかわからないこともあると思いました。
数字は雄弁だが時として寡黙な実体に及ばないことがある、ということです。

首里を後にして那覇の中心地へ行けばもうどこにでもある都会そのものです。
奇跡の一マイルと呼ばれた国際通りは観光客向けの繁華街となり、小さな商店街も賑わっています。
しばらく雑踏を歩いて疲れたので三越のデパ食で冷たいそばを食べました。
今回は念願のA&Wもステーキも食べられませんでした。
店はいろいろあるのですがどこもオヤヂ一人でふらっと入れる雰囲気ではなく、また次の機会にということで。

最後にちんだみ工芸さんを訪ねて店長さんにご挨拶。
ここでも地謡について大変力づけられるお話を伺うことができました。
ささやかなおみやげは黒檀のウマとミージル。

 17時発のANA、B777から浜比嘉島におわかれです。

 西日が強いのでずっとシェードを下ろしていました。
今度は右側に席をとろうと思います。

 鳴門海峡が見えれば10分足らずで関空に着陸です。

2007.5.10

二日間コザの町を歩きつくしたので今日は勝連半島に行くことにしました。
毎年秋になると伊勢に来ている天願区青年会がうるま市にあるので名誉会長さんのKさんに電話をしてみました。
もし時間があれば軽くビールでもおつきあいいただければと思ったのです。
けれど電話には出ていただけず、おそらくお忙しいのでしょう、いきなりお邪魔してもどうかと思ったので、そのままうるま市を通過して勝連城趾に向かいました。

 飛び乗ったバスのルートが違ったので途中で降り、適当に方向を定めて歩く、歩く。
町はどこも似たようなもので商店は殆ど閉まったまま、朽ちるのを待っているかのようです。
どうにか営業していそうなところでも店内の電気は消え、のれんや看板も出さず、戦意喪失状態。
ああ、どこもやる気なくなってるんだなぁ・・などと思いながらまた歩きます。
商売って不思議なもので、調子いい時はかぜんやる気が出るのですが悪くなるととたんに戦意喪失するものです。
営業コンサルタントという学者さんなどはこの戦意喪失状態が一番いけないというのですが、コンサルタントの言うとおりにやって立て直せた例というのは殆どありません。
今だから思うのですが、この戦意喪失状態、沖縄的てーげーさと似てまして結構大事だと思うのです。
商売ダメになりかける→あわてて資金投入して無理やり戦意高揚させる→本当にぽしゃる、よりも商売不振になった時は戦意喪失状態のままだらだらぐずぐずとやり過ごす。
これが一番だと私は思います。
現に沖縄の商店生き残ってます。
そんなことを考えながらこのまま半島の先まで歩いてしまおうかと思ったけれど、道中あまり変化もなさそうなので途中からまたバスに乗りました。
沖縄のバスは10分ほども待てばやってくるのでなかなか便利です。
それに昼間は空いているので一番前に陣取って町並み観察を楽しめます。
今回の旅では8回乗りましたがすべて一番前の席に座れました。

 勝連城趾に行きたいのですが最寄りの停留所はどこでしょうか?と運転手さんに訪ねたら「西原」だと教えてくれました。
でもそのバス停に着く前に、ここが入口だからとバス停でもないところで下ろしてくれました。
けんゆうの時もそうだったようで、この辺のてーげーさも嬉しいものです。

城趾の入口には立派な休憩所兼案内所が出来ていてパンフレットや出土品などの展示もありました。

 世界遺産に登録されてから年間10万人も訪れるようになったそうです。
今日は木曜日だというのに7人も上ってきていました。

 中城湾がきれいに見渡せます。

 こちらは金武湾。
勝連は小さな半島ですが、こうして城跡に上るとあらゆる方向を見渡せる陸海の要衝だということがわかります。

 城趾入口の学校の壁には平敷屋エイサーの絵。

勝連城趾からきむたかホールまでまた歩く。
丁度お昼どきとあってところどころに弁当を売っている店や屋台があるが、昨夜は殆ど徹夜だったせいか食欲がない。
ペットボトルのさんぴん茶で水分補給をしながらヨタヨタと歩く。
舗装道路が、白いコンクリートの家が、草いきれが、なにもかも暑くけだるい。
歩道にネコが寝転がっている。
いや、死んでいる。
またいで通る。

  きむたかホール
以前お世話になった「あまわり浪漫の会」を訪ねました。
6月の「肝高の阿麻和利」公演を控えて今夜も練習があるそうで、平田さんも来られるからと見学を勧められたのですが、これからまだ7時間も待たなければいけないし、今夜はひでさんと那覇で飲む約束をしているので残念ながらご挨拶のみて失礼しました。
平敷屋まで行くつもりだと言ったら事務局のHさんがご自分のクルマを出して送って下さいました。
それだけでなく平敷屋公民館の区長さんまで紹介して下さいまして、おかげで地域の事やエイサーの事など伺うことができました。

 新しくなった平敷屋公民館

 ロビーから続く階段の下にもエイサーがデザインされています。

 ここは綱引きも有名なんだそうで・・知らなかった。

 公民館から見た平敷屋漁港

 マンホールのふたにもエイサー。

 何がどうやばいのだろう・・。

平敷屋からまた歩くが空腹と暑さでフラフラになってきたので結局バスに乗ることにした。
木陰でバスを待っていたらショートパンツからタトゥーをのぞかせたアメリカーが二人ランニングで近づいてきた。
そうだ、平敷屋はアメリカがキャンプシュワブを作るために強制的に移住させられたところだった。
そこのアメリカーなんだ。
「ハーイ」と手をあげたら「へーイ」とタッチして走っていった。

遅い昼食をコザのカレー屋さんで済ませ、微かな感傷に浸りながら胡屋から園田までゆっくり歩き那覇行きのバスに乗った。
「あとからね」とつぶやきながら・・。

2007.5.9

沖縄二日目。
昨夜は胡屋青年会の皆さんと実に楽しいひとときをすごさせていただきました。
平日で皆さんお仕事もおありでしょうし私もそろそろこの辺でと失礼したのが1時半頃、後で聞いたら皆さんそれから2次会で結局朝まで飲んでいたそうで、なんとも恐ろしいパワーです。
私は・・皆さんのコアな話と心地よいうちなーぐちに囲まれて興奮覚めやらず朝までウトウトしてました。

 デイゴホテルのロビー
アットホームな雰囲気でネットも気楽に使えます。

 デイゴホテルの和朝食、値段は手ごろで量も充分です。

  空港通り
ここで「日本の祭り」が収録されたのです。
平日の午前中なので人影はまばら、でも週末の夜は慣れない人は近づかないほうが無難なんだそうです。
治安がよくないというわけではなく、米兵が飲みに繰り出す→酔う→暴れる、のだそうです。

 胡屋十字路の歩道橋はすでになくコザミュージックタウンの建設が進んでいました。

 園田公民館

坂を登って行き着いたところに園田公民館があります。

 
さすが名門、賞状がずらりです。
 写真やTVで見る印象よりかなり狭い広場、ここで何十人も一斉に練習できるものなのでしょうか、できるのでしょうねー。

 黒板にはこういうお言葉が・・なかなか深いものがあります。

近所のお家からは三線の音が聞こえてきました。
痩せた野良猫がこちらを見ています。

 続いて胡屋青年会を訪ねます。
昨夜お世話になった居酒屋さんからはすぐのところにあります。

 ちょうど自治会長さんがみえたのでご挨拶して写真を撮らせてもらいました。

  こちらもさすがの名門ぶりです。

 胡屋の旗がなんだか懐かしい。

 自治会館横のすーじ小には大きながじゅまるがあり、ずっとここで昼寝していたいような実に心地良い風が通っているのです。
がじゅまるの木は不思議です。
大きく広がった枝の下は人間にとって最良の温度と湿度を提供してくれているようです。
それはまるでかじゅまるが人を守ろうとしているかのようでもあり、うちなんちゅもまたがじゅまるを大切にしている、まさに共生していることを実感できる場所なのです。
暑く焼けた道路をオバアがゆっくり歩いてきて、このがじゅまるの木の下で一息つき、また歩き始める。
いや、オバアだけでなくオイラもまたその一人でした。
沖縄は坂の多いところです。
坂が多いなどというものではなく海底の地形が隆起したそのままの起伏なので谷が深いのです。
胡屋の隣、安慶田地区にある「くすぬち平和文化館」を探して歩いたのですが、わずか1キロほどの距離なのに坂の上り下りだけでバテてしまいました。
でもそのおかげでがじゅまるの偉大さを身体で感じることができました、感動しました。
いきなりレンタカーで走っていたらこの感覚は体感できなかったかもしれません。
たしかに沖縄ではやはり自動車がなければ大いに困る、というのが実感です。
特に若者はちょっとタバコを買いに行くのでも自動車を使うようです。
それも仕方ないと思うほどここの坂はキツいです。
でもがじゅまるの偉大さはこれからも決して忘れないでほしい、本気でそう思いました。

  自販機のペイントもコザ風です。

  中学校の壁に、これはいたずら書きなのか美術なのか。

何度も急坂を上り下りしてやっと見つけた「くすぬち平和文化館」。
ここに来れば「安慶田のに〜に〜」の管理人kubotaroさんに会えるかもしれないなぁ、などと思っていたりしたのですが、午前中だからか誰もいない様子だったのであきらめてまたくすの木通りを歩きます。
ようやくコザに戻った時には空腹と脱水症状でフラフラ。
何か食べようかと思ってもこの辺のお店は開いているのか閉まっているのかわからない。
電気も点けず看板も出さず商売気がまったくないようでどうにも入りにくい。
とにかく座りたかったので目の前に来たバスに乗り込み、もうひとつの目的地普天間の「佐喜真美術館」に向います。
沖縄はバスがたくさん来るので適当に乗ってしまえばいいので気楽です。

 佐喜真美術館

鉄の暴風といわれた沖縄戦を静かに語りかけるこの美術館は、普天間基地の一角に小さくしかし鋭くくいこんで建てられています。

 新しく返還された土地でしょうか、フェンスが破られています。
基地のために先祖からの土地を追われた人達は基地の中にある墓までフェンスを破って入っていったそうです。
基地側もある程度黙認していたようですが。
うちなんちゅは昼間基地反対のデモに出て夜は米兵と飲んでたりする、いろんな意味でてーげーなようです。
なんか、そういうの好きです。

 夕方の諸見会館

 夕陽がコザの町を紅く染めながら嘉手納基地の向こう側に沈んでいきます。
クラブ活動の帰りでしょうか、子供達が元気に「こんちはーっ」と挨拶して坂を上っていきました。

夜はまた実行委員会のNさんの案内で東青年会の練習を見学させていただきました。
普通この時期はまだ練習していないのですが東は今年も気合いが入ってます、幹部連中は全員五厘刈り。
他所の青年会も見に来ているようです。
練習場所は美里郵便局の駐車場。

 締太鼓 足の位置や太鼓の回し方を合わせます。

 今年の新入会員は足さばきから練習。

 バチの角度まで細かく指示されます。

 大太鼓は地方さんと合わせます。

練習は近隣住民の迷惑にならないように21時半頃までで終えるそうです。

この後、実行委員会のNさんが東青年会の地方リーダーNさんを自宅から誘い出して居酒屋でエイサー談義。
東青年会のなりたちや振り付け、地方心得など大変貴重なご意見を伺いました。

で、午前一時頃、そろそろおひらきかな、と思ったら「民謡酒場」に行こうねぇとお誘いが・・。
タクシーで中の町の「なんた浜」へ。
オォ、TVでは見たことあるけど実際に入るのは初めてだ、ドキドキする。
早速何曲か聞かせていただいたけどリズムきっちり謡しっかり、さすがの安定さ。
それもそのはず青年会のNさんは三線の最高賞というのを取ってらっしゃる。
なんた浜の若手ホープも最高賞、なんとこの方19歳なんだそうで、「高校生ですか?」なんて失礼なこと聞いてしまうくらい若いのです。

沖縄にはこのように賞を取った方だけでなく賞とは関係なくてもそれ以上の方が町中にゴロゴロ(失礼)いるのだそうだ。
つまり町中でいつもどこかでお師匠さんに見られてるようなもの、なんだそうです。
おそるべし沖縄、話しには聞いていたものの、目の前で唄三線を聞かされるとビビッてしまうほど上手、上手というのは失礼かもしれませんが本当に聞きほれてしまうくらい上手なのです。

実は昨夜胡屋青年会の皆さんと飲んでいた居酒屋さんでも奥の部屋から三線が聞こえていました。
どこかの青年会の地方さんなんだと思いますが、それはそれはすごいテクニックで弾いておられました。
けれどその演奏は申し訳ないけれどあまり心に響いてくる三線ではありませんでした。
自分だけが楽しんでいる三線は人の心に響きません。
やはり胡屋のNさんの声、東のSさんの声の方がぐぐっとくるのです。
テクも大事かもしれないけれど、まずは気持ちを込めること、あらためて思い直したものです。

 Nさん、オイラのカバンからビデオカメラを出して撮ってくれたのです。おかげでいい冥土の土産ができました。この時すでに午前2時すぎ。

ふぅ〜、楽しかったぁ、そろそろ帰りますかぁ、とブラブラ国道を歩いてたらNさんが目ざとく越来青年会の会長Kさんのクルマを発見。
うわあKさんとってもおしゃれになって、去年は東海市でお世話になりましたと挨拶、そのままピカピカのクルマでホテルまで送っていただきました。
しかし午前3時にコンビニに買い物にやってくる人多すぎっ、どうなってるのこのコザというところは。

深夜というか早朝というかホテルに戻ったけれど、地謡や青年会のことなどをいろいろ考えていたら、エイサーに関わったことがとても負担に感じられて結局一睡もできませんでした。
けれども本心からエイサーについて地謡について語って下さった東青年会のSさんに感謝です。
DVDもありがとうございました。

2007.5.8

 いよいよ念願の沖縄行き、09:04発難波行き特急に乗ります。
伊賀神戸駅の忍者電車・・あんまりかっこいいとは思えないけどなぁ。
あ、ファンの人ごめんなさいね。

  南海ラピート
この鉄人顔と丸窓は好みが分かれるところですなぁ。

 豹柄っぽいシートはやはり大阪テイストですか。

 関空の第二滑走路工事、あと二ヶ月だというのにまだ土砂を運んでる大丈夫?間に合うの?

 B767

オイラはこういう中型機が好き。大型機はバスみたいでつまらないし小型機は頼りない。B727のように「飛んでやるっ」と言わなければ飛べない健気な飛行機が好き。でも最近はみんなのっぺりおりこうになって、そういう個性ある機種がなくなったなぁ。

チェックインカウンターで立ち止まったら係のグラホスさんがすぐ近づいてきてきて誘導してくれた。
大荷物でよたよたしているオヤヂからは加齢臭とともに迷走臭がオーラのように立ち上っていたのだろう。
こういう目線の定まらないお客様にはこうしてフォローして差し上げるのですよ、と教えられているに違いない。
もちろんこちらとしても大助かりですけどね。

20年ぶりくらいだろうか飛行機に乗るのは、大きな尾翼、精悍な顔を見ているとわくわくしてくる。
鉄小も楽しいけれどやっぱり空を飛ぶという非日常は最高のエンタなのだ。

 足摺岬

 屋久島

 伊平屋島と伊是名島

 伊江島

 浜比嘉島

那覇空港に降り立った時からその香りがしていた。
コザの街を歩いていても、普天間の基地近くでも、忘れかけた時にふぁ〜と身体を包み込むように流れてくる。
街中はどこに行っても花が咲いているので、いろんな花を嗅いでみたのだがどれもそんな臭いは発していない。
結局最後までそれが何の香りなのかわからなかったのだけれど、なんともいえない幸せな香りだった。
(帰ってからけんゆうにその話しをしたら「僕もそうでした」というから自分だけではないと思う)
いったい何の香りなんだろう・・。

沖縄の第一印象・暑さは本土とあまり変わらないけど、まるで風景が偏向フィルターをかけたような色だ。

 ユイレール・シート固い。

 バスセンター、90番知花線

景色を見たいオイラはモノレールでもバスでも空いていれば一番前に陣取る、荷物も多かったしね。
初めての土地を旅する時はいつも必ずそうしている。
そうすれば酔わないし運転手や乗客を観察してその土地を手っ取り早く知ることができるからだ。

 国際通り名物の渋滞

沖縄の人はみんなのんびりしててマナーがいい。
乗る時に小学生も高校生も「お願いします」、降りる時は「ありがとうございました」と言う人が多い。
バスは那覇市外に出た頃から次第に混み始め車内は満員になった。
那覇から市外に出るバスは乗降口が前扉ひとつしかない、かなり昔の観光バスのようなタイプ。
次のバス停で降りるという人が奥の方にいるとき、普通は入れ替わって降りる人を前にするのだけれど、沖縄では違う。
通路に立っている乗客がゾロゾロといったんバス停に降りるのだ。
しかも沖縄のバスはおつりが出ないので降りる人は乗降口にきてから両替をして料金を入れて降りる。
そしていったん外に降りた人が再度乗車。
続いてそこから乗る人乗車。
発車。
それをバス停ごとに繰り返す。
その一連の作業を見ていているこちら側もあまりイライラしないのが不思議だ。
のんびりしている。
でも雨の日もみんなそうやって外に出るのだろうか。

国道を走る自動車もみんなのんびり走っている。
ガラガラに空いた国道でもゆっくり走っている。
しかもスピードだけでなく車線変更も右左折もマイペース、これでよく事故にならないなぁと思うくらいマイペース。
沖縄での交通事故は約半分がレンタカーだという。
それは内地からの観光客が慣れない道でウロウロして事故るというよりも、内地の国道を走るようにてきぱきと無駄なく走るからなのかもしれない。
やっかいなところはおよそ内地人の方が法規どおりに走ってるのにどーして?という点だろう。
バスの一番前に乗って観察していると、なんでわき道からそのタイミングで出てくるのっ、という場面によく出くわした。
でも事故らない、バスものんびり走っているからだ。
郷に入っては郷に従えという格言を思い出したりしているうちにバスはいよいよ山里に着いた。
諸見・園田・胡屋。
それまで地名だったバス停が一挙に青年会名に変わる不思議。
いや本当は地名なんだけれど・・。

 とうとう来ました、胡屋です。
まずは重い荷物を置きたいのでホテルへチェックイン。

 デイゴホテル  トイレのドアにはさすがコザだと思わせる表示が。

デイゴホテルは「目指せ世界1のB級ホテル」が合言葉だという、社長さんのブログもおもしろい。

 今日はゴーヤの日
パークアベニューではゴーヤの日→胡屋の日ということでイベントをやっていました。
エイサー演舞は見られなかったけれど後で聞けばどこかの祭り太鼓だったそうで、意外にも地元のイベントにはあまり青年会は出る機会はないそうです。

 デイゴホテルの夕食Bセット(だったかな)結構ヴォリュームあります。


胡屋青年会ご用達、居酒屋「すずめ」

全島エイサー実行委員会のNさんとひでさんのはからいで、平日にもかかわらず青年会の幹部の方達が集まって下さいました。
自分は今沖縄にいる、コザにいる、青年会の人達と話しをしている・・。
話題はエイサー、地域活動、運営、地謡心得、などなど皆さん本当に暖かく接してくださってまさに夢心地の数時間でした。
はい、もちろんジョッキの下にはおしぼりを敷いて、です。

2007.5.5

遠く群馬前橋から「群馬エイサーシンカ舞人」のかっちゅ&みよち〜さんが訪ねてきてくれました。
夜は「八部衆」の練習も見ていただきましたが、こうしてお客様とくにエイサー関係者に見られるというのはなかなかプレッシャーのかかかるものです。
でももちろんいい刺激にもなるし意見交換もできるので大歓迎なんですけど。
コロリさんとかっちゅさんはいよいよ地謡デビューされるそうです。
最近は夜も寒くなくなったので近所の方が子供連れで見に来られたりして嬉しいですね。