2007年4

2007.4.29

● 愚痴
松阪には三線教室がないので、今まで何人もの人が三線を習いたいといってやってきました。
もちろん自分はとても教えることなんかできないので、一緒に楽しみましょうというスタンスでやってきたのですけれどね。
ところが殆どの人が長く続かなくていつの間にか来なくなってしまうのです。
工工四をコピーしたり、太鼓の練習を止めて三線練習につきあったり、結構手間をかけておつきあいしているつもりなのですがねぇ。
理由も言い訳もなくいつの間にかスッと来なくなるというのは残された者には空しさだけがつのるものです。
無料だからダメなんだよ、という人もいたけれどこちらはプロじゃないんだしね。
タダほど高いものはないという言い方があります、けれどタダほど安いものもまたないのですね。
かけがえのない仲間になれるかもしれないその人と出会った時、どうせまたすぐ来なくなるんでしょと心にバリアをつくる時「徒労」という言葉をかみしめるのです。

● ニセタ不足
時々演舞依頼をいただく時「もういっぱい予定が詰まっていると思いますが・・」と言われる時があります。
とんでもない、切羽が詰まっているのはメンバーの数でございます。
結成4年目に入った「八部衆」ですが一向に太鼓のニーシェが増えません。
これがうちなー青年会だったら、まあ半強制ということもありましょうが「○△青年会がカッコイイ」から入るというニセタが現にたくさんいるわけです。
そう、カッコイイから入る。
男という生き物は単純だから"カッコイイ→俺もやりたい"という公式に必ずハマるはず。
・・つーことは「八部衆」の演舞はカッコイクないのではないかと、実はちょっと前から思っていたわけであります。
どこがカッコイクないのかを洗い出す作業に入らねばなるまい、と思っています。

2007.4.25

今日は定休日なので一週間ぶりに鉄分補給に行きました。
 松阪→名古屋

 名古屋→大阪難波

  ULのデラックスカーを奮発して中川の短絡線を楽しむことにしました。

難波→奈良、奈良→京都と急行に乗り・・。

  実は京都駅のデザインが大好きなのです。
近代建築史に残る名建築だと勝手に思っているのです。

 京都→松阪 ビスタカー

 この夜の練習は施設のお姉さん方の衣装合わせでした。

2007.4.22

白山分頓基地35周年の演舞でした。
心配された雨もなんとか終了まで降らずにすみました。

 パトリオットミサイルの箱
自衛隊ではペトリオットというのが正しいようです。
なんだか変な名前、北朝鮮製じゃないの?
kazさんがせっかくだから打たせてって前もってお願いしたらダメと言われたそうです。なんだつまんない。

 レーダーですね、フェイズドアレイ・・かな。
おそらくここの展示物の中で一番高価であろう、もらって帰るならコレ、と話し合っておりました。
普段はまず絶対に見られないモノばかりなのでみんな興味しんしん。
平和の使いエイサー臣下と対照的な光景です。

 明野航空基地からはアパッチが飛来。
アンタらこれで人殺すの・・などとオトナは口にしないことになっております。
見る物すべてが上手に作られたプラモデルの様な感じがしました。
もっと上品な色に塗ればいいのに、どうせ使わないんだから。


こういう張り紙が所々にありました。
・・ということは普段はこうじゃないってことかな・・。
オトナはそういう事も言わない約束になっております。
チョンダラーにしたいような目が怖い・・描いた人と会ってみたい気がする。

 kazさん今日もビデオ係

 「早い・・走らないで・・」と言ってます。

TAMさん写真ありがとね。

2007.4.19

寝不足ということもあって神田の本屋街や秋葉原にも立寄らずにそそくさと帰ってきてしまいました。

 高崎→上野「あかぎ」
普通車14両はオール自由席、車両の古さと停車駅からみれば急行だろうという列車。
でも上野に着く頃には席が半分ほど埋ってましたから毎日の利用者は多いようです。

  500系「のぞみ」
昼すぎには名古屋に着いてしまいました。

内容がエイサーじゃなくて殆ど鉄じゃないか、という突っ込みが入りそうな旅でした。

2007.4.18

この日は群馬へ移動、いよいよ「はしれとっきゅうれっしゃ」の旅です。

 日本海入線
降車した客は10数人程度、新大阪で下車したのかもしれませんが不人気寝台特急の代表格です。
今どき客車三段チョー狭いカイコ棚で寝台券¥6,180が乗車券特急券と別に必要なのです。
快適なソロ(一人用個室)と同価格では納得いかないのも当然です。
せめて寝台券¥2,000くらいにするかオールソロにしてほしいものです。

 スーはく(スーパーはくと)出発
今どき流行りの顔つきです。

 JRF桃太郎、
気が優しいかどうかは知りませんが力持ちであることは事実の最新型重電機です。

都会はいろんな車両が見えて楽しいです。

 そしていよいよ「サンダーバード」に乗ります。

 交直切り替えのデッドセクションは敦賀と北陸トンネルの間に変わりました。
しばらく動力なしで惰行します。
車内灯はバッテリーでついているのでしょうが電光掲示板は消えました。もちろんエアコンも動力も切れます。
ここからいよいよ交流区間に入ります。

 
富山で約1時間の待ち合わせ。
駅からすぐのところに市役所があり、誰でも自由に70mの展望台に登れます。
晴れていれば立山が見えるはずですが今日は曇り。
反対側に富山城と神通川が見えました。

 富山からは「はくたか」に乗車。
「サンダーバード」と同じ車種なのでちょっとつまらないです。

 天険親不知の通過。
北アルプスがドドーーンと日本海に落ち込む交通の難所、今は鉄道はトンネルで、道路は海上をすんなり通過できます。
「はくたか」は上越新幹線と北陸を結ぶリレー特急です。
直線の長いトンネルではおそらく在来線で許される最高速160km/h(けんゆう談)、ギーーンとすごい速度でぶっとばします。

 夕方前橋に着いた頃には雨、コロリさんは会社帰りに駅まで迎えに来てくださり商店街を見学させてもらいました。
先にホテルでチェックインを済ませていよいよコロリ邸へ。

 

かっちゅさんも駆けつけてくれてコロリ邸別館でゆんたく。
肉が苦手のオイラにずいぶん気を使ってくれたコロリさん、野菜づくしのチャンプルーコースのおもてなし、どうもごちそうさまでした。
それにしてもコロリさんのビール好きはすごい、大きい缶を7-8本も開けてたもの。
エイサーや民謡のことなどいろんな話しを聞かせてもらってたらあっという間に午前様になってしまいました。
まだまだ、とテンションの高いコロリさんに明日も仕事だからと強制撤去。
深夜なのにホテルまで奥様が送ってくださって大助かり、平日に押しかけて申し訳なかったです。

・・・

その頃「元気屋」では・・。

地方連体調不良でふたりともダウン、アカペラで練習したそうです。
それもたまにはいい練習だよね(笑)

この夜は利根川べりのとても雰囲気のいいホテルだったのですが静かすぎて眠れませんでした。
無音というものはうるさく感じるものです。
その静けさの中で微かに「ち・・ちち・・ちちちち」と腕時計の秒針より小さな音が聞こえています。
何の音かと部屋の中を探すとすぐ発見できました。
空調のコントローラーがデジタルなのでICまわりの部品が微かに発振しているようなのです。
カバーを開けて基盤をあたってみますがどの部品もそれらしいところは発見できません。
たたき壊すわけにもいかず、午前二時に従業員さんを呼ぶのも気の毒だしだいいち呼んだところですぐ直るわけでもない・・ので仕方なくあきらめて寝ることにしました。
しかしどうにも音が大きく感じてしまい、しまいには部屋中響き渡ってくるのです。
とうとう朝まで眠れませんでした。
価格の割にはとてもいい感じのホテルだったのに残念でした。

2007.4.17

いよいよ尼崎「琉鼓會」さんの見学に出発します。

 まずはアーバンライナーから。

  ディスプレイには案内表示と前方展望が映し出されています。

 鶴橋に着きます。

大阪駅近くのビジネスホテルにチェックインして荷物を置き地下街で夕飯を済ませてJR猪名寺に向います。
出るのが少し早すぎたので駅でしばらく列車ウオッチング。

 夕方ラッシュ時の大阪駅「はまかぜ」発車。
もうすぐこの名キハも引退でしょう。こういった味のある列車が殆どなくなってしまいました。

「はまかぜ」を見送って新快速に乗り、尼崎で福知山線に乗り換えます。
発車するとすぐ大きな脱線事故があった現場にさしかかります。
慰霊祭のための大きなテントが張られていました。
アナウンス「・・この時間帯5号車は女性専用車両となっております・・」
フーン、と見渡せば周りは女性ばかり。
目の前のガラスに「女性専用車」とステッカーが貼ってあるではないか。
わおっ、俺は無実だ、知らなかったんだよぅ・・暑くもないのにあぶら汗がジトー・・。
早くっ早く次の駅に着いてくれ〜、オレをここから出してくれ〜っ(エコー)。
列車はまだ徐行していた・・。

やっとの思いで猪名寺駅に着き落ち着かない気持ちのまま地図で方向を確かめながら歩き始めます。
住宅街の中を歩くこと約30分、たどりついた食満(けまと読みます)は神崎川の堤防沿いですっかり陽が落ちて寒くなっていました。
琉鼓會さんの練習場所はシャッターに立派な守礼の門が描かれていたのですぐ見つけることができたのですが、練習時間までまだ1時間もあったので堤防から伊丹空港を離発着する飛行機を眺めて待ちました。
昔はよくこの空港を利用したものですが、20年後の自分がまさか空港の対岸でその風景を見ているとは・・、なんだか不思議な気持ちです。

練習場所に明かりが灯ったので早速入らせてもらってご挨拶。
会長の比嘉さんとご両親は実に明るくきさくな方で、初めてお邪魔する私を暖かく迎えてくださいました。
全島出場の時の話や大正区のことなど琉鼓會のなりたちや現状など、自分としては前もって勉強してきたこともご本人の口から聞かされるとあらためてエイサーに対する熱い想いが伝わってきます。

 

 練習場の二階にある「道場」と呼ばれる事務室兼ゆんたく場


20時になるとメンバーも続々と集まってきて練習が始まりました。
想像どおり激しくかつ緻密な練習です。
腕の振り方や角度、特に足の置き方は指先にまで気を遣って先輩が指示していきます。
そうした微妙な点の積み重ねがエイサーらしさを醸し出す重要な要素なんですね。
メンバーの平均年齢は26歳、学生メンバーを増やしたいとのことでした。
メンバーからは「お母さん」と呼ばれる文字通りお母さん、そして会長の人柄でしょう体育会系の厳しさの中にも常に笑顔があり、皆さん礼儀正しくて気さくに話しかけてくださる"好ニセタ"、これも想像していたとおりの琉鼓會でした。

 

倉庫も見せて下さいました。
あこがれのユウナの木がいっぱい。沖縄とのつながりが深くなければこれはなかなか手に入りません。

三時間に及ぶ練習が終わったのは23時すぎ、ずっと立ったまま見学していたら寒さと疲れで足が震えてきました。
途中何度もストーブ近くのイスを勧められたのですが自分としてはやはり皆さんと同じ目線で見ていたかったので立っていたのです。
練習後はメンバーのお一人が阪急園田駅まで送ってくださいました。
おかげで深夜の堤防道路を歩かなくて済みました(☆感謝☆)。

午前様でホテルに戻り、コンビニで買った夜食をつまみに缶ビールと日本酒一合で心をほぐしたのですがなかなか眠れず、ウトウトし始めたのは結局3時頃でした。

2007.4.11

ひと月ほど前から市内の老人保健施設の方々が練習に来ています。
初めは演舞依頼だったのですが、私達が踊るより施設の方が踊った方がもっと喜ばれるはず、ということでなかなか熱心な皆さんです。

2007.4.9

★ むふふっ(其の壱)

長い間念願だった尼崎琉鼓會さんの練習を見学させていただくことになりました。
本土に数あるエイサー隊の中で琉鼓會さんだけは私の中で何かが別格だったのです。
それが何なのかなぜなのかはよくわかりませんが、とにかく何かが別格なのです。(よくわからない話)
そしてその翌日は北陸上越経由でコロリさんのいる前橋に行きます。
舞人さんの練習は曜日が合わなくて見学できないけれど、久しぶり(20年ぶりくらいかしら)の鉄分補給です。
新幹線は一昨年の町田以来かな、500系を狙います(疲れるけど)。


 高崎から上野まで二時間もかかるんですねー、コロリさん三線修行も大変だぁ。
ここは昔よく乗った路線だけど当時は新幹線なくて169系急行「信州」「佐渡」など華やかな頃でした。

★ むふふっ・・(其の弐)

オイラ、とうとうコザへ行くと決めたのだ。
青年会が練習を始めるのはたぶん6月中頃でしょうが、そんなには待てないのです。


すでに舞い上がってます。